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アブブ国から

4 月の 28 日でまる 4 ヶ月になったまゆ。4 月からはついに(というか早くも?)保育室に通うようになり、4 人いる 0 歳児クラス最年少かつ唯一の女の子。毎日楽しそうに過ごしてます。 最近になって言葉、というか音を口から発するようになり、なぜか「あぶぶ」だったり「あぶー」だったり、アブブ語でなにかを発しています。可愛らしくてこちらも真似してあぶーとか言ってるのだけどこのままではアブブ語しか話せないひとになってしまうのでは?と少し気にしている今日このごろ。発声のほかには最近手助けしつつの立つ練習をして(ハイハイもまだできてない。。)本人はかなり満足そうなドヤ顔。 妻は所謂ママ友ができて同じような悩みを共有できる心の友がいるだけでもだいぶ精神的に楽のよう。LINE を使う日が来るとは。 次回はもう少し渋谷区の保育園事情に触れようかと思います。

フガフガモゴモゴ

2015 年 1 月 28 日でちょうどまゆが生まれてから一ヶ月。 さすがに一ヶ月間四六時中赤ちゃんと一緒にいれば、沐浴だったり抱っこだったり哺乳瓶で授乳してあげることにだんだん慣れてきた。慣れてきたとは言うものの、まゆも日々細胞分裂しながら成長しているのだから昨日まで成功していたやり方が今日も成功するとは限らないところがまた難しい。 この時期一番の変化は、生後間もないときは母乳を飲んだあとは長い時は 6 時間くらい平気で続けて寝ていたのだけれど、最近は起きている時間がだんだんと長くなってきている。スースーと一日中寝てた赤ちゃんだったので、あ、こんなに日中寝てくれてるなら全然楽だわ、と思っていたのは大間違い。今はフガフガ、モゴモゴ、腕や足をぴーんと伸ばしては縮めたり、スーパーマンみたいに片腕を伸ばした格好になったり、時にはおそ松くんのイヤミのような格好になったり。見ていて飽きることは全くないのだけれど、やはり泣く。抱っこしないと泣く。抱っこして膝を使ってゆらゆら揺れてないと泣く。おかげで 膝を使ってゆらゆら揺れる、という動きを無意識のうちにしてしまうようになってしまった。 さて、話は変わって、赤ちゃんの生後一ヶ月といえば一ヶ月健診である。ちょうど生後一ヶ月となる 1 月 28 日に妻とまゆと三人で健診に向かった。これは、赤ちゃんの身長や体重などを測りきちんと成長が見られるかや、健康状態に異常がないかを診てもらうための健診だそうだ。まゆはというと、身長は 55.5cm 体重は 4,850g という、 WHO が公表している発育曲線  でいうところの上限値を僅かに下回るくらい、という立派な成長ぶりであった。妻も腱鞘炎になるわけだ。 というわけで、特に健診では何の問題も見られず無事に生後の 2 ヶ月目を迎えることができたのでめでたしである。 三人で病院まで健診に向かった時にも使ったのだが、この時期になるとまゆお気に入りの乗り物でだんだん外出するようになってくるのだが、そのくだりはまた次回。

怪獣まゆ、氷川亭に現る

自宅での子育てが始まったのが 1 月 2 日だから、それからもうすでに 2 週間と 5 日ということになる。こういうふうに文字にして見ると本当にあっという間すぎる。幸運にも私が務めている会社では Paternity Leave という父親が取れる育児のための有給休暇の期間が設けられていて、その間は(公式には)仕事をせずに育児に専念できるのだがもうすでに後半も後半に差し掛かっているので信じられないくらいあっという間である。 さて、自宅での育児なのだがいままでこの 2 週間半を経験しての感想としては、正直大変だと思う。"だと思う"というのは比べる何かがないのとまゆが家に来た以前の生活とまったく違うのだから多分大変になっているはず、ということなのだが、まあ眠い眠い。僕はまだマシなのだが(母乳が出るわけではないし、赤ん坊が泣いていても気が付かない時は本当に気が付かなくて爆睡してる)、妻は本当に大変だと思う。なにせ毎日だいたい 3 時間おきに起きて赤ん坊のご飯を与えてあげなければいけないのだから。いつも笑顔にしているけど睡眠とお風呂が大好きな妻(産後 1 ヶ月くらいは湯船に浸かれないらしい)はストレスが溜まっているに違いない。 赤ん坊が生まれてからの生活情報としては本当に幸運にも妻の妊娠中からいろいろなひとから聞いていた。大変になるよ、とか自分の時間なんて無くなるよ、とか夜寝られなくなるよ、とかおむつはいくらあっても足りないよ、とかとか。ちゃんと聞いているつもりではあったのだけど、実感がないのでどこかで聞き流していたのだと思う。覚悟してたつもりだったけど、思ったより全然大変。最初の 1 週間くらいは泣く理由なんて空腹かおむつかゲップしたいか、くらいの、初期のドラクエ並みのコマンドなんだけど、いまこのエントリーを書いている 2 週間を過ぎた時期だと本当になんで泣いているのかわからなくて、なにをやっても泣きやまなくて終いにはこちらが泣いてしまう始末。 「寝ていると、天使のように見えるのに、ひとたび泣くと、モンスターかな」とはまさに。昔の歌人は上手いことを言うと感じる今日このごろ。 もうすぐ Paternity Leave が終わってしまうのでそれからどうなるかはまだわからないのだが、とりあえず次回につづく。 追記: 新生児の子育てがどんなも

産後の入院、そして帰宅

2014 年 12 月 28 日、長女が無事生まれたわけだが母子ともに健康といえども産後 5 日間は入院しなくてはいけない。後にい聞いた話によると私達が利用した日本赤十字医療センターでは助産師さんら自らも認めるスパルタだったようだ。なにがスパルタなのかというと、ずばり母乳教育。 赤ん坊が生まれるまでが夫婦共にとりあえずのゴールかと思っていたのだが、妻にしてみれば人生で初めての授乳をしていかなければならない。さらにそれこそ人生で初めてのことだからみんながみんな誰でも最初から何の苦労もなく授乳できるわけではもちろんなく、産後まもなくも相当苦労したようだった。 さて、私はというと、妻の入院中は毎日面会時間になれば足繁く通って妻と赤ん坊の姿を見に行った。見に行ってはビデオや写真を撮って、絶対自分は親ばかにならないと心に誓っていたのがウソのように吹き飛んでしまった(笑)、そんな時期だった。年末年始だというのに病院の中は産後間もないひとたちと彼女、赤ん坊らに会いに来る面会のひとたちでごった返していたのは驚きだった。聞く話しによれば、時期にかかわらずこの医院では毎日平均 11 もの新しい命が生まれているらしいからなるほど納得である。 入院後半になると赤ん坊を沐浴させるためのクラスがあって、それに参加させてもらった。クラス自体は 20 分ほどだったが、そこで助産師さんから学ぶことが後々の自分たちの生活に必須のものになるのだから記録に残しておいて本当に良かった(これもビデオに収めた)。 そうこうしているうちに、世間のお正月ムードとは裏腹にようやく退院となった。退院当日は自分自身が顔面蒼白になるほど体調が悪く、まったくどっちが入院していたのかわからないほどひどかった。 そしてようやく入院期間が終わりいよいよ自宅での子育てが始まることになる。

誕生。そして名前はまだない。

2014 年 12 月 28 日午後 1 時 17 分、予定日よりも 2 日早くこの 3,850 グラムの大きな女の子が生まれた。このとき、名前はまだない。 助産師さんによれば陣痛から 21 時間後の出産だったようで、かなりの長丁場のお産だそうだ。思い返せば 12 月 27 日の夕方頃から陣痛カウンターを使い始めていよいよ今日生まれるのかな、という感じだった。 21 時 15 分の Uber の乗車記録があるのでおそらく病院には 21 時 30 分には入院手続きを終えて診察室には入っていたように記憶している。 母子の心拍を測り、その後に分べん室へ移動。私達が入った日本赤十字医療センターの分べん室はとてもキレイな個室で(この辺は他の産院がどうなっているのかはわからないが)立会が前提になっているような部屋の作りだった(分娩台のあるメインの部屋と立会いするひとが休める畳の一角がある)。 妻は大変だったと思うが(そしてそれにつられて自分もかなり横にいて辛かったが)、自分自身としては立会えて本当に貴重な経験と思い出になったのでとても良かったと思う。 この後生まれてから 5 日間は母子ともに入院して産後のオリエンテーションや私を含めた沐浴研修などを受けることになる。 つづく